私が皮膚科の存在を初めて意識したのは、医学部6年生の時にアマゾン川流域に1か月ほど滞在したときであった。現地の病院を見学した際、受診する多くの重症患者が皮膚に激しい変化を来たしているのを知った。強いショックを受け、このような難病と闘う皮膚科という学問は医師としてのロマンだ、私はこういう重症の皮膚病患者を治して、国際難民キャンプなどで働き、社会に貢献したい、と心から思った。これが私の医師としての初心である。
迷わず、慶應義塾大学の皮膚科教室に入局した。しかし、研修をつんでいくうちにさまざまな他の病気があることにも気づき、疾患を勉強して症例報告の論文をたくさん書いた。日々の仕事に没頭し、医局長、外来医長、病棟医長もすべて務め、入局当初の夢は遠のいてしまった。それでも、学位取得後、ロンドンに留学した。ロンドンでの体験は自分の人間としての視野を大きくしてくれた。研究テーマはアマゾンの皮膚病とは違うものになったが、自分が研究し、発見したことが、日々重症患者の治療に貢献できるようになった上、国際的な皮膚科医のネットワークを通じて、遠い海外の患者の診断にも携わることができるようになったことは、私の夢が形を変えてかなったといえよう。
帰国後、34歳で助手になり、私は第1研究室のチーフになった。第1研究室といっても研究室員は私一人なので、必死に教室の後輩を勧誘し、秋山真志君(現・名古屋大学教授)、石河晃君(現・東邦大学教授)らを誘って、10年間楽しく充実した研究生活を送った。論文が次々と出て、研究室の新しい知見が次々と世界に発信された。
44歳の時、ご縁があって北大皮膚科の教授に就任した。この時、教授として誓ったこと、それは、せっかく人生をかけて教室づくりをするのだから、必ず、北大皮膚科を世界一の皮膚科にするということであった。そのためには、若いやる気のある人を入局させ、育てなければならないと思った。一流誌への論文掲載はとても大切だ。ただ、Natureの論文でも10年経てば古くなる。しかし、育ってくれた人材は将来も伸びつづけてさらに発展していく。
幸運なことに、清水忠道君(現・富山大学教授)、澤村大輔君(現・弘前大学教授)、秋山真志君(現・名古屋大学教授)、阿部理一郎君(現・新潟大学教授)、西村栄美君(現・東京医科歯科大学教授)等が教室から育ってくれた。そして、その彼らが指導してくれた大学院生が順調に育っていった。
私は教授19年目だが、赴任当時の北大医学部の学生で入局してくれた、藤田、氏家、乃村、夏賀、秦、柳(以下敬称略)が、今の教室の屋台骨である。また、研究をしたいと言って入局してきた西江は、学位論文をNature Medicineに発表し、今や准教授である。岩田も加わってくれた。人を育成するという最大の目標に向かって教室は動いている。これは私のぶれることのない、教授としての「初心」である。
これからも、若い彼らが一歩でもさらに成長して、社会に貢献できる一流の皮膚科医になると同時に、他大学の教授をはじめとするリーダーとして、他の人たちを指導できるような人材に育ってくれるということが、私の最大の願いである。
教室からは優秀な皮膚科医が育ち、関連病院に勤務、あるいは開業した人も多いが、私は一人一人情熱を持って十分な教育をしてきたと自負しており、彼らは一流の皮膚科医として社会に大きく貢献していると信じている。
「初心忘るべからず」は、私にとって一生大事にしたい言葉である。