2008年 表皮水疱症患者ハンフリー君との出会い

表皮水疱症は先天的に皮膚が脆弱になる遺伝病で、とくに劣性栄養障害型では手指がすべて癒着してしまうなどの激しい症状を呈します。2年程前、国際的な表皮水疱症の支援団体であるDebRA(http://www.DebRA.org.uk/)からSOSのメールが入りました。栄養障害型表皮水疱症患者のハンフリー君が、ニュージーランドから日本のガールフレンドに会うため成田空港に到着したが、持参した大量の包交材料(シリコンのシートや特殊なガーゼ)を見た税関の人が、商業用として日本で販売される可能性を否定出来ない、という理由で持ち込みを許可してくれない、とのことでした。ハンフリー君は体中に潰瘍やびらんがあり、全身を包帯などで覆って生活しています。包交材料が一日でも切れてしまうと、ハンフリー君の皮膚は日常生活に耐えられず、通関が許されないと大変な問題になります。私はすぐに成田空港税関の責任者に直接電話をして、表皮水疱症という特殊な遺伝病についてと、なぜ大量の包交材料が必要なのかということを解説し、翌日ようやく包交材料の日本への持ち込みが許可となった事件がありました。その後、アイルランドで開かれた表皮水疱症の国際シンポジウムで、DebRAニュージーランド代表のアンナさんと知り合いました。そこで、実はアンナさんは私が手続きを手伝ったハンフリー君のお母さんであることがわかり、アンナさんからは丁重にお礼の言葉をいただきました。昨年チリで開催された表皮水疱症国際シンポジウムでも、再びアンナさんと御一緒しました。学会のパーティーでワインを飲みながら、「今度の冬休みにどこに家族旅行にいこうか迷っているんだ」となにげなく言ったところ、アンナさんはニュージーランドのネルソンに自分たちが持 っている海の別荘に是非遊びに来るように、非常に熱心に誘ってくださいました。ネルソンはニュージーランドの南島にある小さな町でアベル・タスマン国立公園の入り口として、ニュージーランド国内では知られたところでした。帰国後、家族で何度も話し合いましたが、滅多にない機会と考えご厚意に甘えることにしました。飛行機が小さなネルソン空港に着くと、ハンフリー君、アンナさん、お父さんのマーティンさんが笑顔で迎えてくれました。別荘にはたくさん人がいるからと言うので行ってみたところ、驚いたことにハンフリー君家族3名のほかにご友人の家族が3人、ハンフリー君の友達が2人、親戚の人が1人、ハンフリー君の体の処置をするアルバイトの人が2人いて、私たち家族4人を含め全員で15人という合宿のような状態でした。私と妻は小さなベッドルームを使わせていただき、我が家の二人の子どもたちはリビングをカーテンで仕切ったソフ ァーベッドで、一部の人達は庭にテントを張って寝るという、非常にフレンドリーなニュージーランドらしい雰囲気の滞在となりました。ハンフリー君と私たちは、海に行ったり、釣りをしたり、散歩をしたり、ニュージーランドの自然を楽しみながら1週間の間、1日中ほとんどずっと一緒にすごしました。彼は病気のために、すべての手指は癒合していました。親指の先端を切り離す手術を受け、わずかに親指の先端が動く状態を保ってはいましたが、自由な手の機能はほとんど制限されていました。足首も拘縮しているため、長く歩くことはできず、車いすも頻繁に使います。しかし私が驚いたことには、ハンフリー君は不自由な手でコンピュータも携帯電話も自在にあやつりますし、車も運転します。私も乗せてもらいましたが、ハンドルが握れなくても動かせるように改造した特別仕様の車を、かなりのスピードで運転します。また、ハンフリー君はいつも明るく、冗談が好きで、周りには自然に人が集まっていました。困難ばかりであろう人生の中で、前向きな生き方は驚くばかりで、25歳と若いのに、ほんとうにすごい人物だ、と感じざるをえませんでした。

ハンフリー君には、毎日行わなければならない表皮水疱症の皮膚の処置を、皮膚科医の妻と私で見せてもらいました。彼の処置は、処置係であるアルバイトの女学生2人がつきっきりで行います。まず、ガーゼをはがす際は、細心の注意を払いながら時間をかけて行います。生まれつき皮膚が脆弱なため、荒っぽい処置では新たなびらんができてしまうからです。続いてシャワー浴で皮膚を清潔にしたあと、彼の全身の皮膚をさまざまな包交材料を用いて保護します。日本でいえばデュオアクティブに似たような高価な材料もふんだんに使われます。すべての処置が終わるまで2時間かかりました。これを毎日、365日、一生続ける必要があるわけです。肉体的のみならず、精神的な負担をあらためて実感せずにいられませんでした。さらに驚いたことは、非常によくシステム化された皮膚の潰瘍に対する処置の仕方です。日本の現状では、毎日の処置は家族の献身的な努力にささえられていますが、ニュ ージーランドでは外部のスタッフにより毎日の包交が行われ、患者を支える家族が疲弊しないシステムが整っています。ハンフリー君の場合、一日8時間分までの処置係の給与はもちろんのこと、高品質の高価な包交材料すべてが、表皮水疱症患者さんに対してのニュージーランド政府からの支給でした。日本では、表皮水疱症は稀少難治疾患に指定されていますが、無料になるのは受診したときの医療費と軟膏代のみです。実際に患者さんや家族にとって最も経済的負担が大きい出費は包交材料代なのですが、これは全額自費となっています。メロリンガーゼというシリコンを使った簡単なガーゼを買うにしても高額で負担が大きすぎるため、傷に癒着してしまうことがわかっていながら、通常の安いガーゼを使用せざるをえない患者さんがほとんどです。ましてやハンフリー君が使っているような高価な包交材料を365日自費で調達することは日本の患者には不可能です。ニュージーランドでも、20年前は今の日本と同じ状況でしたが、患者支援組織DebRA New Zealandなどが、ニュージーランド政府と長年地道に話し合いを重ねた結果、現在のような弱者に優しい環境が育ったそうです。ニ ュージーランドでは糖尿病の患者さんのインシュリンなどの医療費は以前から全額支給されていました。表皮水疱症の患者にとって、大量の包交材料や、処置をしてくれる人の労力(人件費)は、生きていく上で、インスリンと同様に不可欠なものであるということを政府に地道にアピールした活動結果だそうです。残念ながら、日本では処置の労力も包交材料代も患者とその家族が全て負担している状況です。私は20年間、表皮水疱症の患者さんと関わり治療法の研究をしてきましたが、日本の表皮水疱症患者さんが直面している悲惨な状況をあらためて実感せずにはいられませんでした。ハンフリー君は、2008年3月、交換留学のため、日本にやってきました。明治学院大学にこの4月から1年間在籍し、日本語と国際政治の勉強をするそうです。このような重い障害を持った患者さんは国内を旅行をするだけでも大変なのに、勇気を持って日本に留学することは、私たちが宇宙ステーションで一年間過ごすくらいの大きな決断ではないかと推察します。病気に負けないハンフリー君の明るさ、前向きな生き方には、大きな感動を受けました。数年前の税関への電話からはじまったハンフリー君との出会いでしたが、ネルソンでの1週間を通じて暖かい友情が育まれ、それがさらに発展して2008年3月、表皮水疱症患者支援組織DebRA Japanの発足へとつながっていきました。DebRA Japanがどのように発足したのかは、表皮水疱症患者さんのトピックス (後半の教室年報16~17ページ)に書いてあります。是非読んでみてください。