2014年 ESDR(ヨーロッパ研究皮膚科学会)から名誉会員の称号をいただいて

幸運なことに私はこれまで複数の国際学会から名誉会員の称号をいただいています。米国皮膚科学会、オーストリア皮膚科学会、ヨーロッパ皮膚電顕研究学会など、そのひとつひとつに思い出があります。しかし昨年、ヨーロッパ研究皮膚科学会(ESDR: European Society for Dermatological Research)から名誉会員の称号を授与されたことは、私にとって特別な出来事でした。その理由は、私がこれまで最も力を注いできたことの一つが、国際レベルの皮膚科学研究であり、ESDRはまさにその象徴であったからです。
私は1987年、英国ロンドン皮膚病研究所に留学し、研究三昧の日々を送っていました。当時、大事な学会のひとつはもちろんESDRでの発表でした。ESDRに初めて参加してまず驚いたことは、ヨーロッパの10以上の国の研究者が一堂に会し、全員が英語で発表、ディスカッションしていることでした。参加者の多くは英語がnativeでないにもかかわらず、研究を始めたばかりの駆け出しの研究者でさえも、訛りのある英語で言いたいことを言いまくって、活発なディスカッションをしていました。英語が一番上手なのはもちろんイギリス人で、かなり有利な立場だと感じずにはいられませんでした。英語が喋れて当たり前、英語ができない人はこの世界では生きていけない、このことは十分自覚しているつもりでしたが、それをまさに実感させられました。

当時は、留学をする日本人はいても、国際学会で自在に活躍する人はほんの一握りの特別な人たちでした。一方、ESDRは皮膚科における国際社会の縮図という雰囲気がありました。このころの日本は、何事においてもアメリカ志向で、米国研究皮膚科学会と較べると、ESDRは日本で十分認知されていなかったこともあり、日本からの参加者はいつも10人以下でした。自分はもとより、将来多くの日本人皮膚科医がESDRで自在に活躍できる日が来ればいいなと、漠然と夢見ていました。

留学から帰国後10年を経て、1999年、私は北大皮膚科教授となり、日本研究皮膚科学会の理事、事務総長、英文雑誌編集長などを務める中で、日本研究皮膚科学会の仕事、とくにさらなる国際化の推進に、長年微力を注いできました。日本研究皮膚科学会の公用語も、思い切ってすべて英語に統一するなどの経過を経て、 ESDRへの日本人参加者も年々徐々に、着実に増えていきました。2012年イタリアのベニスで開催されたESDRへの日本人参加者は、なんと200人近くに達し、参加者数1位のドイツにほぼ並ぶまでになりました。 25年前と比べ、隔世の感があります。

そのベニスでのESDR理事会で、私はESDRの最高峰の栄誉、ESDR名誉会員称号を授与されることに決まりました。実際の受賞式は翌2013年英国のエジンバラで開催された国際研究皮膚科学会の会場で執り行われました。幸運なことに、私の25年来の親友である英国ロンドン大学皮膚科のJohn McGrath教授が私のCitation(P36、Topics)を会場で朗読してくれました。Citationは表彰状と訳されますが、日本のそれとは違い、私のこれまでの経歴・生活歴の紹介と詳しい業績を表彰するものでした。Johnは今や国際皮膚科学会の世界では誰もが知っているスーパースターです。と同時に、25年前は若い研修医で、毎週セントトーマス病院皮膚科カンファレンスで私と共に勉強した仲で、私のことを公私ともに一番理解してくれている一人です。学会に参加した妻聡子とともにJohnの心温まるスピーチを聞いていると、これまでの想い出が次々に浮かび、決して平坦ではなかった日々も振り返り、恥ずかしながら目頭が熱くなるような、心に残る授賞式となりました。

さらに驚いたのは、私と一緒にESDR名誉会員称号を授与されたのは、英国カーディフ大学皮膚科名誉教授のマークス先生だったことです。マークス教授は、私の恩師、西川武二先生が英国に留学した時のボスで、マークス教授が日本での講演にいらした時、まだ20代だった私は、先生の荷物運びの役を頼まれ空港に西川先生と一緒に出迎えに行ったことを良く覚えています。受賞者席で、もう80歳を超えているマークス教授の隣に座り、四半世紀の歴史を感慨深く思い起こしていました。

時代は容赦なく進んでいきます。今や若い日本人皮膚科医が英語で発表するなど当然のことで、英語が喋れない、英語論文が書けない人は、この世界では一歩も二歩も遅れを取る時代になりました。今回のジンバラでの世界研究皮膚科学会には、若い北大皮膚科教室員も15名参加しました。受賞式には、教室員と、私が北大でかつて研究指導した若手外国人研究者も参加してくれ、名誉会員称号の表彰状とメダルをいただいた後、皆で記念写真を撮りました(P34、トピクス)。この受賞は、公的には私のこれまでの業績に対するものです。しかしそれはつまり、北大皮膚科教室のこれまでの業績、国際レベルでの皮膚科研究への貢献に対してのものでもあります。

授賞式を終えて、あらためて私は幸運な教授だと実感しています。素晴らしい優秀な教室員、実験助手、秘書、同門会員に恵まれ、支えられ、これまで仕事をさせていただいたことに心から感謝したいと思います。そしてこの受賞を一つの通過点として、北大皮膚科や日本の皮膚科から、さらにあたらしい医学への発信ができるよう、気を引き締めて、真摯な気持ちで粛々と努力を重ねていきたいと思います。